最近思うことの備忘録
※文章ではなく箇条書き形式の備忘録です ・ネットよりもご近所づきあいが大切だという事 実感 近所に居る+身元が分かる+共通の知り合い+長年の積み重ね いざという時に助けてくれる人は身の回りの人である ・誹謗中傷に慣れる人と、傷ついて人格が変わってしまう人の差 自分の中に優先順位がしっかりあり、傷つきを反芻する暇がない(意図して傷つき以外の行動を取っている人)人が傷つきに慣れやすいのでは ・自分のよりどころが複数ある人は一部を批判されてもダメージが少ないという話 ・ダブルスタンダードの話 ダブルスタンダードが苦手だが、ダブルスタンダードを人の基本精神としてある程度許容したいという気持ち ・他人を理解する時に、理想論や自分のステータスから相手の人格を想定しても、実際とはかけ離れた想像にしかならない場合が多い話 ・理論で考えようとするのではなく、人に関わる回数を増やし、実地で「人はこのようなものである」を腹落ちさせないと、人間の弱さを自然と許容できる状態には到達できないのではないか ・自分が人に高い理想を求めるならば、他人からも高い理想を求められるだけでなく、「高い理想を叶えられないことから攻撃されることを避けるために」という理由で望みが叶わなくなる(例えば自分が、完璧な助けを提供できないので…という理由で助けられない場合が増える)ことも、繋がっている一連の流れなのではないか その一連の流れって認識しているものなのか? それを把握していないなら、人の事は助けないし責めるが自分は助けられたいというのはただの我欲であって、助けない人の倫理的問題点として他人を責めることは難しいのではないか ・他人に興味がないが、他人には自分に興味を持って配慮して欲しいという要求や願望はダブルスタンダードだが、人はそれをダブルスタンダードとして認識しているのか ・他人に興味を持たれなくても生きていける自己肯定感がMAXの存在がいるならば私はその人の事がすごく好きだが、そういう人が「他人に興味がない」を極めていると、加害性を修正する機会に恵まれず多分大変と言う空想上の話 ・人は別に能力が上がったり人格として素晴らしかったりすればするほど単純に人から好かれるという訳でもない(好かれる率は上がると思うけど) 嫌われなくなるわけではない ・自己否定をして、前に向かって進んでいこうという決