Twitterからのお引越し

今までツイッターを長年のめりこむようにして愛用していた所謂「ツイ廃」の私なのですが、様々な事情が重なり、最近はツイッターをほとんど触らない日が増えてきました。
(実際には服薬や体調の管理などを行うためだけの記録アカウントを持っており、毎日ツイッターを利用しては居るのですが…)

一番の大きな理由は、7月にツイッターの動作が不安定になり、ツイートの取得に大幅な制限がかかったことです。
私はどうしても脳内を文章にして整理したい気持ちが強いため、ツイートをすることができない、という状態にショックを受け、同じような機能のある別のプラットフォームに移りたい気持ちが強くなってしまいました。

その後ツイッターが名称を「X」に変更しツイートなどの固有名称を変更したりしていますが、それらへの抗議の気持ちでツイッターを辞めているわけではありません…。

また、私自身がツイッターでは考え事や政治・差別問題・ツイッター上での人間関係などに真剣に取り組みたい気持ちが強すぎて、どうしてもその程度が過度になってしまっている部分もあったため、一旦距離を置いてお休みすることも必要・良い経験かなと思い、今は無理にツイッターを触ろうとはせず、気分に任せています。

何事も過度であることに良いことはない、と思っています。
差別問題に興味を持ち、差別を許さない人間を目指すという一見立派な行いであっても、過度であれば問題の方が大きく出てきます。
差別とは心の持ちようというよりは社会構造であり、言語や社会システムや常識に差別が組み込まれており、社会に生きて居る限り「差別をしない人間」になる事は出来ません。
その現実を忘れ、差別をしない人間である自分の方が他の差別をする人間よりも立派であると驕った時、人は簡単に客観性や社会性を失ってしまいます。

大事なのは、自分の中に判断の基準になる軸を2つ以上持ち、その間でバランスを保つことだなと思います。


お恥ずかしいことにツイッターを断ててもSNS断ちをすることは出来ず、最近は引っ越し先を探す気分でFediverseをふわふわと漂っています。

Fediverseとは、MastdonやMisskeyなど、「ActivityPub」という仕組みで投稿(ツイートのようなもの)を共有し、お互いにフォローし合える仕組みのSNS群です。
Mastdonのサーバー(個人が個人経営のサーバーを立てていてそれが複数あるという、ツイッターしかやってこなかった人間にはわかりづらさのあるシステムなんですね…)に登録しても、Misskeyという別のソフトで建てられたサーバーに居るアカウントを(お互いに)フォローしたりできる仕組みのようです。

今Fediverseに居ると、普通に和気あいあいと楽しくおしゃべりしている人たちに紛れて、「Fediverseは楽しい、ツイッターは最悪」という話が定期的に流れてきます。
私は和気あいあいとしたお喋り自体は楽しいと思っていますが、正直そんなに「Fediverseが最高で、ツイッターはクソなのだ」とは思っていません。(Fediverseの中でも、そのような考えの人は比較的極端なタイプの人で、大抵の人はそこまで尖った白黒思考ではないと思います)

もちろんFediverseに一度遊びに行ってみて、良かったなあと思える点はかなりあります。
その中の一つとして、ツイッターという環境を相対的に評価する軸が自分の中に増えたことがあります。
自分の中で、SNS=ツイッターだった、それが常識だと思い囚われていた思い込みがかなり軽減されました。

例えばツイッターでは見知らぬROM専の名も明らかではないアカウントにフォローされることは日常的にありますが、FediverseではROM専の人はほとんどおらず、自発的に発言を行っている人が殆どで、ROM専の人が居たとしてもフォローを許可するかどうかは自分で決めることも出来ます(発言を公開しながら鍵アカウントのようなフォロー承認制を取れる)
自分は今までROM専の人からのフォロー外しなどでも一喜一憂するような気にしぃな性格な部分があったのですが、こうやってROM専ではないちゃんと自分を出してフォローしてくれる人が居る世界に行ってみて、自分にとって大事に思える人間関係とは何なのか? ということを改めて考えることが出来ました。

また、ツイッターでは自分のアカウントという意識が強く愚痴を言ってしまったりすることが多かったですが、Fediverseでは「ローカルタイムライン」という同じサーバーに所属する人間同士でお互いの呟きが見れる非フォロー関係の間柄のタイムラインがフォロータイムライン以外に同時に存在していることが多く、それによって物の見方が変わる部分もありました。
SNSが「人が楽しくおしゃべりをしている場だ」という意識が私の中では強くなり、そうすると愚痴を言うタイミングを考えたり、言い方をマイルドにしたり(Fediverseでは自分の発言を自発的にワンクッション伏せたり発言単位で鍵をかけてフォロー限定にする機能がデフォルトで付いています)おしゃべりをして気がまぎれたりすることが多くなりました。


しかし、このような「ツイッターと違う部分」「良い部分」というのは、もちろんFediverseのSNSのシステムが上手く機能している部分もあるのでしょうが、人数や知名度がツイッターよりもまだ小規模で、現時点では比較的新しい物好きで自己主張や取捨選択が得意な人が今のところは集っているため、という理由が大きいのでは、と推測をしています。
なので自然と時間経過や規模の拡大でこの空気感もなくなってしまうかもしれません。難しい話なのですが…。
もちろん、自分が今の良い空気感を守らないような行いをすればすぐにでも空気は崩れてしまいます(大抵はそうならないようにサーバー管理者が介入して空気を変えたり、悪質な人間はサーバーから追い出したり発言がローカルタイムラインに出ない処置をすることによって治安維持が行われているようです)

ツイッターも最初はほのぼのとした内輪感のあるSNSだったことを私は知っています。

SNSはSNSであり、規模が大きくなれば雰囲気も変わる上、SNS固有の問題や人間同士のトラブルなどはどうしても避けようがない、人間が集まる場なので「この場であるから自然と空気が良いのだ」みたいな期待はあまりしない方が良いのだろう…とつい思ってしまう自分がいます。
(むしろ、中小規模のサーバーを人が無償で管理している分、管理人に対して要求を突きつけるユーザーがいる、サーバー同士でのトラブルが起きるなど、目に見えたトラブルは起こりやすくなっている印象があります)

所属するSNSに何かを仮託しきらずに、自分の振る舞いや自分にとって何が良いのかを考えながら動きたい…(でも結局SNSは日々の癒しみたいな感じで考えずに楽しめる時間であってほしい気持ちもあり…しかしそれが楽しすぎるとそれはそれで時間や労力を取ってしまいがち…)と色々考える次第です。
難しいです。ただ、色々経験が出来て良かったな~と思っています。

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