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来年の手帳を買いました

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やっとブログの機能で改行=段落にするかどうかを切り替えられることに気付きました、薪です! 本日は文房具について語る日記になります!! 長いので、適宜ブラウザバックをお願いします!!! 見てください!! 来年の手帳を買いました!! 高橋書店のtorinco1を初めて買いました。 2019年から発売の、比較的新しい手帳シリーズのようです。 外見はドシンプルです。かわいい顔でしょう!! 装飾らしい装飾はなく、背表紙にブランド名と年数が書いてあるくらい。 中身のページ構成の種類などのバリエーションは複数があり(その中の一日一ページのものがtorinco1)、更に種類ごとにカラーバリエーションが数種類。どれもお洒落な色でした。 この紫も、他にはなかなかない色でありつつも上品…! と思って購入しました。 中身はこんな感じ。 シンプルでベーシックで、それでいて古臭くはない非常にこなれた雰囲気のデザインで、好感を抱きました。 24時間分の目盛と、別に箇条書き用のスペースが用意されています。 巻末には見やすい日本地図や地下鉄路線図、時差の表などの情報コーナーがあり、かなり使い勝手が良さそうです。 レビュー記事を見る限り、裏ぬけもない良い紙を使っているようで、書くのが楽しみです。 ただ、ページが180度開く作りではないようで、開き癖が付くまでは手帳を付けるのが大変かも、と危惧しています…。 他に購入を検討した手帳 当初はマークスのEDiTを購入予定でしたが、探しに行っても売っていないか、好みのカラーバリエーションが売れ残っておらず、購入を見送り続けていました。 そして、繰り返し買う手帳で毎年同じような気分になるのはつらいかも…と感じ、色々な店舗に置いてありそうなtorincoの方を衝動買いしてしまいました。 中身のデザインは同じ一日一ページの物を購入しようと考えていました。 ページの中身の構成もほぼほぼ同じ。 ただ、EDiTの私が購入予定だったサイズのものは、torinco1と違って箇条書きのスペースはなく、どちらかというと時間軸や固定の使い方に縛られず、1ページを完全に自由に使いたい人向けのデザイン。 個人的には時間軸も箇条書きスペースも使用したいため、先にそれらを区分けしてあるtorincoの方が好みです。 また、その月のカレンダーが小さく印刷されているのもtorincoだけでした

政治と、生身の人間との関係を意識し始めた

自分の政治への見方が、少し変わったきっかけになった出来事について書きます。 地方自治体の議員さんを後援していたご老人から、たまたま、世間話の一環として後援相手の愚痴を聞く機会がありました。 「あの人はもうダメだ。下戸を理由に酒の席にも顔を出そうとしないし、最近は仕事よりも孫を可愛がるのに熱心すぎて、公私の区別も甘かった。そういう所を周りはちゃんと見ているし、だから見放された」 落選する以前から、周りの人間が忠言をしても省みず、結果汚職を疑われるようなことも起き、評価も落ちていき……という経緯だったそうで、悔しさ半分、諦め半分、というご様子でした。 私は、相槌を打ちながらその話を聞いていました。 私自身も下戸で、お酒の席は苦手です。ですが当時は、誘われたらなるべく行くようにはしていました。 お酒の席というのは本音の出やすい場所で、そこに積極的に参加する人「内輪」として仲間意識を持って貰える。逆に、そうでない人は陰で文句を言われるターゲットにされる。私はそれが怖かったからです。(我ながら俗物だと思います) ですので、目の前のご老人が言っていることは分かるような気がして、気が付けば力強く肯定的に相槌を打っていました。 今思えば、陰口を言われるという目先のことではなく、政治家であるならば特に大切な「人との信頼関係」そのものを軽視している姿勢を、その方は嘆いていたのかもしれません。 その議員さんも、落選したとはいえ立派な方だったのだと思います。 でなければ、私の目の前にいたご老人が一生懸命に支援したり、耳の痛い忠告をしたりはしなかったはずなので。 そういう話を聞くまで、私は地方自治体の議員をやっている人がどんな人かなんて考えたことがなかった。 私が想像するよりずっと、「生身の人間」が政治をしているんだな、と気づきました。 私にとっては政治は、長い間遠くの存在でした。 私は芸能人などにはあまり興味が無いのですが、テレビで見て、芸能ニュースと同じような感覚で政治を楽しんだり、メディアの報道する怒りに乗せられて怒ったりしていた気がします。それは自分事としての怒りとはまた違う怒りであったと思っています。 子供の頃、家族に選挙の投票先について聞いてみると、誰もが黙ってしまい、沈黙の理由すらも教えてくれない家庭だったので、家族に政治の話をするのはタブーなのだろうかと感じていました。 イン

共同体への所属感の話

文章を書いていると、長い話を三行に纏める能力が欲しくてたまらなくなります。 今日は人間の所属する「共同体」の話をしたいと思います。 最近、人間関係を労力をかけてでも築いていくメリットについて考えています。 そして、ここ数日、政治の事や、自民党や維新支持層の厚さ、若者の投票率の低さ、などについても、考えることが増えました。 これはその両方から導き出した仮説なのですが、人間関係は面倒くさい物だ、地域の共同体などとは距離を置いて生きよう、という現代の風潮が、そのまま投票率の低さや自民支持などに繋がっているのでは……ということを、考え始めるようになりました。 共同体、例としては「親戚」「ご近所づきあい」「組合」「檀家」「職場の行事や飲み会」など。 私はこれらのどれにも縁が薄いため、極端な例として、小さな農村にもし自分が生まれ育っていたら、どういう生活をしていたか? を想像してみるなどしていました。 誰かが困った時は村ぐるみで助け合う。他の人に迷惑がかからないように、水路や道などの共有の財産を丁寧にメンテナンスする。お祝いごとも、悲しいことも共有する。村で問題があったり、祭りの日の前には、誰かの家に集まって相談会をする…。 何かしらの共同体に所属していれば、仲間の誰かにとって困ったことは、自分にとっても問題であり、「それは大変だ、どうにかしなければ」と仲間内で共有されます。 これが仲間内で解決できないことであれば、その土地の権力者に掛け合ってみよう、という発想にもなり、自然に政治にも意識が結びついていくでしょう。 それは自分のために贔屓をして欲しいとか、わがまま心で訴えるのではなく、仲間たちや仲間の家族のことをも考えた直訴になるのですから、真剣味も増すでしょう。 そこまではいかなくても、所属する共同体があり、そこで意見を交わし合う習慣があるならば、どのような政治を良しとするのか、という意見は、今よりもずっと出て来やすかったはずです。 政治への意識の高さ、というのは、共同体によって保たれていた側面があるのではないでしょうか。 よく言われるような、「現代の教育に問題があるから」「人権意識が低いから」「日本人の性格が従順で大人しいから」、投票率や選挙結果や、デモなどの政治活動への忌避感にそれが出ているのでは? という定説には疑問を感じます。 歴史の教科書を見ているだけでも、昔の日本

自分のみっともない話(日記その3)

日記オブ日記という感じの、しょうもない私生活のことを書き綴ります。 洗濯機の排水が逆流しました。 以前にもこのような事があったため、毎月パイプユニッシュを排水に流し込むという義務を自分に課そうと思っていた(実際そのようにしていた時は問題は起きなかった)のに、最近サボりにサボっていためこのザマです。 流石にヤバいかも…と思ってパイプユニッシュを一本買ってきたところだったので排水にぶち込みました。再発はいずれすると思います。しないように気を付けなさい。 おそらく私は、noteで投げ銭してくれる人が居るよりも、毎月パイプユニッシュを送りつけてくれる人が居た方が助かるタイプの人間だと思われます。 そんな人はいないので、本当は自分が12本くらい予めパイプユニッシュの買い置きをした方が良い気がしています。買うのが恥ずかしいです。 月末の家賃の振り込みを忘れませんでしたが、何のことはない、先日通帳を新しくする必要があり、郵便局に焦って行ったからです。 焦って行ったものの窓口はギリギリ営業時間外だった上、その場にはいらした局員の方に「ATMで通帳繰越が出来ますよ」と教えて貰い、やっと「通帳の更新は窓口じゃなくてもできるのか…」と初めて知ったという有様でした。 通帳がいっぱいになった後、行数が一定以上になってしまって明細が纏まるのがなんとなく嫌だったのですが、見事に纏まりました。なんかあれ、内訳が郵便で来るんだった気がします。それだけでなんだかめんどくさいのです…。 私のような愚かしい人間は、振込系を自動で引き落とせる設定にしたほうが絶対に良いのですが、それをするための手続きをする気が全く起きないほど事務手続きがとても苦手で、日々の生活に余裕がなく、私は愚かです。 そういう申し込みをしようとして、ハンコを間違えて書類が通らなかったことがあります。 マジでこの辺何とかしないと、まずは自分のことをできないのであれば近所づきあいをするとかいう次元ではないし、このようなわたくしの愚かさも可視化しておきます。 解決は非常に簡単なはずなのに何故できないのか…。 あともうちょっとマメにならないと人付き合いのタイミングも永遠に逃し続けると思う。 私は現代社会で生きるには非常にマイペースすぎる類いの人間!! 普段140文字の世界にいるため、自分が長文を書けるはずがないと思っていたのですが、いざ出来上が

選挙とか、身近な人の話(日記その2)

日付は変わってしまいましたが、2021年10月31日は衆議院議員総選挙でした。 休日だったので、のんびり起きて情報を調べ、選挙に行き、ちょっと贅沢な食事を食べました。 夜は近所の人と食事に行き、人と一緒に開票速報を見ながら意見を交わすという、一人暮らしの人間にはなかなか出来ない経験ができました。 私が言う「近所の人」は、家の近くで個人経営の小さい喫茶店を経営している店主さんと、そのお店で知り合ったお客さんです。 今日行った食事のお店も、年配のマダムがやっていらっしゃる、10席もないような個人経営の小さなお店です。家庭料理が美味い。店主さんとマダムがお互いにお互いのお店に行き来する仲で、コロナ禍でお互いにお店が開けなかった時期が長かったため、今日は顔を出したいのだと、店主さんは仰っていました。 「頻繁に顔を出したり、無理をして行く必要はないけれど、何かあった時の折り目折り目に顔を出すと、相手の人も喜んでくれるし、そういうことが大事だよ」 そういうことが、人間関係をやって行ったり、地域で商売をやっていく上で大事な「義理」なのだろう、と思いました。 話は変わりますが、同い年の旧友が共通の知人と結婚したとのことで、連絡をしてくれました。めでたい! 自分がありつつも大人しい~方なのですが、しきりに「薪は今、ネットと職場以外の人との繋がりってある?」と心配してくれるので、何か心境の変化があったのかなと、ちょっと驚きました。 先に言った近所づきあいの話をすると、それは良いことだ、と安心してくれました。(私の親かな?) 聞くと、友人自身もそうですが、(結婚の知らせのために連絡を取っていると)友人の友人も含め、「仕事以外に人付き合いがない…」という状態の人があまりにも多いとのこと。 友人は、仕事で忙しく同人活動も行えなくなり、創作意欲もコンテンツを楽しむ気力もなく、ネットでの人との繋がりも薄れてしまったようです。 そうして、現実での人との繋がりが大切だ、と改めて思うようになった、と教えてくれました。 最近、私自身も、自分の人間関係の築き方に課題があるな、と考えていたところで、 その上で周りの人からこういうことを言われたため、どちらも印象的な出来事になりました。 私のような若者が帰属する場所が今は失われている、親しく言葉を交わす人間が居ない、そういうことが若者の政治離れや、現状の選挙結

ブログを始めました(日記その1)

普段はツイッターで喋っている、薪( @takigigigi )と申す者です。 長文を置く場を作りたいと思っていたため、ブログを始めようと思います。 人に伝えるための文章を書いてみたい(そのための練習もしたい) それによって自分の考えを整理したい 見返しやすい媒体でも自分の考えや日記を記録していきたい というようなことを、以前からぼんやりと考えておりまして。 そのためのサービスとしてnoteを借りるつもりで居ましたが、数々の不祥事を見て踏ん切りがつかず、くすぶっている状態でした。 で、もしかしてこれは、「いつかやりたいな~!」と思っているだけでいつまで経っても挑戦しないパターンでは…?(ハッ)と気づいたため、 深夜テンションでグーグル社提供の無料のブログサービスを借りて来た次第です。とりあえず挑戦だけはしてみよう、という感じで…。 noteからの移行先を考えてる方は、投げ銭システム込みで代替を探している方が多いようで、そういう比較が良くなされている印象でしたが、私はあまりその辺(収益化したい! とか)にこだわりがないので気楽さ優先と直感でサービスを選んでしまいました。 商用目的かつ、こだわる人はWordPressというものでブログを作るのだと知りました。サーバーは他で借りないといけないんですね…。 ちゃんと続くか分かりませんが、何か書きたい事があれば、また書きに来たいな、と思っています。