政治と、生身の人間との関係を意識し始めた

自分の政治への見方が、少し変わったきっかけになった出来事について書きます。


地方自治体の議員さんを後援していたご老人から、たまたま、世間話の一環として後援相手の愚痴を聞く機会がありました。
「あの人はもうダメだ。下戸を理由に酒の席にも顔を出そうとしないし、最近は仕事よりも孫を可愛がるのに熱心すぎて、公私の区別も甘かった。そういう所を周りはちゃんと見ているし、だから見放された」
落選する以前から、周りの人間が忠言をしても省みず、結果汚職を疑われるようなことも起き、評価も落ちていき……という経緯だったそうで、悔しさ半分、諦め半分、というご様子でした。

私は、相槌を打ちながらその話を聞いていました。
私自身も下戸で、お酒の席は苦手です。ですが当時は、誘われたらなるべく行くようにはしていました。
お酒の席というのは本音の出やすい場所で、そこに積極的に参加する人「内輪」として仲間意識を持って貰える。逆に、そうでない人は陰で文句を言われるターゲットにされる。私はそれが怖かったからです。(我ながら俗物だと思います)
ですので、目の前のご老人が言っていることは分かるような気がして、気が付けば力強く肯定的に相槌を打っていました。

今思えば、陰口を言われるという目先のことではなく、政治家であるならば特に大切な「人との信頼関係」そのものを軽視している姿勢を、その方は嘆いていたのかもしれません。

その議員さんも、落選したとはいえ立派な方だったのだと思います。
でなければ、私の目の前にいたご老人が一生懸命に支援したり、耳の痛い忠告をしたりはしなかったはずなので。

そういう話を聞くまで、私は地方自治体の議員をやっている人がどんな人かなんて考えたことがなかった。
私が想像するよりずっと、「生身の人間」が政治をしているんだな、と気づきました。



私にとっては政治は、長い間遠くの存在でした。
私は芸能人などにはあまり興味が無いのですが、テレビで見て、芸能ニュースと同じような感覚で政治を楽しんだり、メディアの報道する怒りに乗せられて怒ったりしていた気がします。それは自分事としての怒りとはまた違う怒りであったと思っています。
子供の頃、家族に選挙の投票先について聞いてみると、誰もが黙ってしまい、沈黙の理由すらも教えてくれない家庭だったので、家族に政治の話をするのはタブーなのだろうかと感じていました。
インターネットで政策を見て、投票先の人間がどんな顔かも知らずに投票をすることが当たり前という価値観で生きてきました。(勿論、投票しないよりもその方がずっと良いことだとも思っていますが)
人でなく、理念や派閥を見ていました。


ですが政治というのも、生身の人間一人一人が生身の人間なりの努力をして成り立っているものなのだろうか、と最近は思うようになりました。
国会議員だけでなく、地方自治体の政治家にも、後援をする人たちが居て、その人を信頼し応援している。
政治家一人一人に、当選が確定すれば皆で万歳三唱して喜び合う人々がいる。

私の行きつけの喫茶店に、新しく立候補した若手の政治家の方が、先輩と一緒にあいさつ回りに来て、ポスターが貼られるようなこともありました。
「ドブ板」と呼ばれるような、一軒一軒地域の家を回るような手法は、最早廃れたように思っていましたが、実際にはそうではないのだ、今も使われているのだ、と思いました。
選挙期間中の街宣車や街中での演説も、否定的な文脈で語られることが多いですが、実際には人が人に興味を持って貰うための大切な戦略の一つなのでしょう。


***


維新が何故大阪で評価されるのか、について分析された文章を読みました。


関西人視点で「維新が大阪で強い理由」を整理し、これからの日本における「改革」を考える【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(24)|FINDERS https://finders.me/articles.php?id=3107

私も大阪に住んでいた時期が数年あるのですが、確かに大阪はどんどん再開発が進んでいて、大阪駅周辺だけでなく他の地区にも大きな商業施設がどんどん建ち、街に人があふれるような、景気の良い雰囲気がありました。
ですのでメディアの報道のせいだけではない、大阪に現在住んでいる人たちにしかわからない空気感や維新の一面は当然あるだろうな、ということを考えながら、この文章を読んでいました。
彼らにも彼らなりの知性があるのだ、という主張を初めて読み、このことをもっと深く、噛み砕いて理解できるようになりたいと思いました。

個人的には維新を支持しませんが、それでも人の心を掴んだり評価をされるに至ったやり方については、学ぶべきところはどんどん学んでいくべきなのだろうなと、個人的には思っています。




世の中には私がわからないことだらけで、私が遠いと思っていた存在も、思っていたよりも身近なものだと気付ければ、更に新しい発見があり、面白いです。
また何かを書きに来ます。

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