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6月, 2022の投稿を表示しています

【日記】北海道旅行に行ったら楽しかった話

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北 海 道 旅 行 に 行 っ て き ま し た ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! 人生初の北海道!!! 殆どホテルでだらだらするのと札幌駅周辺をぶらぶらしているだけで終わっちゃいましたが、 めちゃくちゃ楽しかったです~~~!!! 【今回語りたい事】 1.旅行の楽しかった点 2.得られた気付き 3.今回の反省点 超長くなります!! 1.旅行の楽しかった点 自分はかなり日々の生活をルーチン化してしまうタイプなので、 ガラッと環境が変わる・普段と違う事をする の自体が凄く楽しかったです!!! あ、リフレッシュってこういうことか~と身を持って体験しました!! 一日は同じ24時間だけど、密度が全然違う…。 脳に入ってくる刺激の量が違う…!!! と言っても、私が気にして面白がっているのって、 おそらく他の人には面白くも何ともなさそうな、めちゃくちゃ些細な事で…。 でも、そういう事を自分だから面白がれる、というのも良い事なんでしょうね。 「他の人がしてるから自分もそうする」とかではない、 自分の感覚や体験に紐づいた「楽しみ方」が出来てるということなので…。 ◎旅行中楽しいなと思ったこと一例 ・飛行機から見た、本州の上のもこもこの雲が北上に従って薄くなっていた ・ホテルから夜景を見たら、街の範囲が広すぎて、ザ・バットマンのゴッサムシティのCGを見た時の気分になった (こんなにも広い平野に街があるのを私は見たことがなかった) ・本州よりも日が昇ってくるのが二時間は早かった ・翌朝ちゃんと遠くの方に山があるのを確認して平野の終わりが見えることにちょっと安心した ・私の住んでいる街では既にほぼ廃れている個人経営っぽい時計屋さんが地下街に二つは入っていて、しかも平日なのにどちらのお店にもひっきりなしに修理依頼のお客さんが来ていて、嬉しくなってしまった(嬉しくて買い物をした) ・地下通路に終わりがない ・雪国=三角屋根というイメージもあるが、むしろ雪を下ろさないまま真ん中から排水できる仕組みの陸屋根(平屋根)の家が多い (屋根にヒーターがついてるのかなと思ってたけど調べた感じ、春まで雪を積んでおいて太陽光で溶けるのを待つのが基本っぽい…ヒェェ…) ・ので、家がめちゃくちゃ四角い ・マインクラフトで作った家みたいだ!!! ・あと北欧っぽい 窓とかも出っ張りが少ない シンプルデザイン

FE風花雪月のダイマがしたい

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 北海道旅行の日記を書きたいな~、とか思いながら、 気がつけば早くも6月が終盤を迎えており、大変焦っております!!!! なぜなら、本日、2022年6月24日は、私が初出情報公開で「買おう!」と決めていたゲーム、 「ファイアーエムブレム風花雪月 無双」 の発売日なのです!!!! (以下、長いのでファイアーエムブレムを英語表記の頭文字から取って「FE」と略します) しかし!!! 発売日までにやりたいと思ってたことが全然出来てねえ!!!! そのやりたかったけど出来なかったことに、この無双の前提作品「FE風花雪月」を遊び倒したり、解釈語りを山ほどしておく、という願望がありました。 何故なら、スピンオフ続編を遊んでからだと、前提作品のみを純粋に楽しむことはできなくなるからだ…!!!! 私は好きな作品の解釈を文章にしたためるのが大好きですとも!!! (口調がどんどん暑苦しくなっていく…) この願望を消化するために、軽い作品の語りと、この作品でどうしても思いの丈を語っておきたいキャラについて、今のうちに書き残しておこう、と思いました。 今作のヒロインポジションの「エーデルガルト」というキャラについてです。 1.FE風花雪月のダイマというか語り この作品の筋書きを軽く紹介すると、 ファンタジー世界で傭兵稼業をしていた主人公が、 各国の未来ある若者や王族・貴族たちが集う士官学校の教師に任命され、 教師として担当する生徒たちと楽しい日々を過ごしていくが、 大陸中を巻き込む陰謀や戦争に否応なく関わって行く… みたいな話です。 私はこの作品で描かれているテーマ性や大好きで、 この世の差別問題や戦争の悲惨さを伝えたい…!!!  という情熱がめちゃくちゃ込められたゲームなのです…。 また、「ゲーム」という、自分がその世界に主体的に関われる媒体であることを活かし、「プレイヤーに悩ませる、考えさせる」作品です。 また、登場するキャラクターは皆活き活きと血肉が通った人間として描かれていて、彼らの悩みやそこからの成長を見守るのもとても楽しいです。 構造に目を向けさせるためなのか、「絶対的悪」や「絶対的正義」のキャラクターは出て来ません。 (なので私の絶対悪萌えには引っかかるキャラが居ないのだけど…) 物語はプレイヤーの行動や選択肢で展開や結末が変わっていきます。 同じ戦争の、侵略戦争の加害者側につくの

デザインのひきだし46 買いました【日記】

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  表紙が紙違い×箔違い(腐食版)×箔違い(彫刻版)で 1000パターン あるという驚きの仕様で話題になっている、雑誌 「デザインのひきだし 46」 (現在では最新号)を購入しました。 箔押し、ただひたすらにワクワクするので…つい…つい買ってしまいました…。 心が躍るぅ! 私が買えたのは金ホログラム箔×銀箔の非常に渋かっこいい表紙のやつでした。 私、自分に余裕が出来て同人誌にお金や時間をかけられるようになったら、 こういうタイプのホログラム箔を表紙に使うのにめちゃくちゃ憧れてるんですよ~!! (現状では余裕があんまりないので、夢のままあたためていますが…) 印刷見本や、イメージを膨らませるための資料として活用したり、ワクワクしたり、ドキドキするために活用しようと思います…!! 雑誌本体に、技術の粋を集めた印刷見本やら、ボールペンを使った箔押しが楽しめる金箔キットやら、三方金箔小口染めのノートやらがついて来ます。 これで2200円(税別)は採算が取れてるのか心配になるレベル。 ちなみに 表紙1000パターンが全て見られる、 【京都】『デザインのひきだし』のひきだし展 Vol.2 大箔覧会 にも足を延ばしてきました。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000100.000084584.html 圧巻でした…。 入場者特典で表紙の試し刷りみたいなものがランダムで貰えました。 こっちも買ったものと偶然全く同じ金ホロ箔~!(この宝石っぽい光り方が好きなのですわ) 箔も入場者特典で3種類を手の平サイズくらい貰えるらしいです (私は使い道が思いつかなかったのと推しのホロ箔がなかったので貰わなかった) 雑誌の中の見本や、箔押しの版の展示などもあり、狭い展示スペースながら非常に心が躍りました…!! 見てるだけで楽しすぎる。最高…。 自分で箔押しの表紙のノートを作れるワークショップ(有料)や、物販の販売もありました。 推しホロ箔の小口染めのノートを買うかだいぶ迷ったけど、そんな良いノートを日常的に道具として使える気が全くしなくて我慢しました…。浪費を食い止める心…。 関東では 青山ブックセンター本店・ギャラリースペース で展示が見られるそうです (表紙の展示は箔違い全種の100パターンのみ、京都では紙違いも含めた1000種展示) *** ちなみに

京都薪能に行ってきた【日記】

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  以前から一度行ってみたい~と思っていた薪能。 薪能 (たきぎのう)は、主として夏場の夜間、能楽堂、もしくは野外に臨時に設置された能舞台の周囲にかがり火を焚いて、その中で特に選ばれた演目を演じる能楽。(Wikipediaより) コロナ禍で二年連続中止になっていた 京都薪能 が今年は開催されるということで、(第71回目) 今心身が元気だから行けそうだな、行ってみようかな? と思い、思い立ってチケットを購入。行ってきました! ちなみに能は今まで一度も見に行ったことがありません。初心者。 私のHN「薪(たきぎ)」は、薪能から「薪」の文字をいただいて名乗っています。 薪能の存在を知った時に、とても神秘的で素敵な感じがして、印象に残っていて。 その後、薪という漢字の見た目や響きやイメージを大いに気に入って使わせていただいているのですが、 「元ネタ」である薪能も是非一目見てみたいな~、と思っていたのでした。 会場は平安神宮。この時点で荘厳さが凄い。 会場はたくさんの席があったのにも関わらず超満員で、薪能の再開が非常に温かく迎えられているのが伝わってきました。 コロナ前は能楽師さんが手売りでパンフレットを販売していたりしたそうです。 (というのを、能の開始前に狂言師さんが面白おかしく紹介してくれていました。  狂言師さん、やってることは現代のお笑いにも通じるものがあるけれど、  イントネーションや言葉遣いで古い時代っぽい雰囲気を非常に上手く表現していて、  現代的な話を喋っても世界観を崩さず、それでいてちゃんと意味も伝わってくるのですげぇ技術だ…と感心していました) あ、神秘的な神事なんだろうなと思ってたけど、これ俗っぽさもある商業イベントだ…!!! とこの時点で気付きました。 とっつきにくい神事なのではないか、と思ってたのは私だけで、気軽に見に来て正解だったっぽい!!! 私が行った日の演目は 観世流能《養老》水波之伝 金剛流能《龍田》 大蔵流 狂言《福の神》 観世流能《小鍛冶》白頭 能を見るのは初めてだったので、「わからん…わからん…」ってなりながら音声ガイドを購入して、解説を聞きながら能を見ていましたが、世の中の平和を願い祝福するような、めでたい構成であることはよく伝わってきました。神事っぽい! 龍田のシテの金剛永謹さんすごい良い声だった…。 重要無形文化財に認定されてたり

アカ分けと「愛され」の話

ツイッターをや っている上で、結構後悔している事がある。 それは、私にはアカウントを用途ごとに分ける癖があり、ツイッターのアカウントを 「ここしか自分のアカウントはありません」 という、シンプルな状態にしておかなかったことだ。 勿論、アカウントを分けることにも利点はある。 しかし、長年ツイッターをやるうちに、段々とアカウントを分けたことによる煩わしさや、自分の語りたい事を上手く語れないもどかしさなど、色々としんどさを感じるようになってきた。 アカウントを分けずに一つにすることのメリットは、以下のようなものが考えられる。 ・信用力が高い 長く運用したアカウントであることが目に見えるので、信用力が高い (逆に、誹謗中傷などを目的にした愚痴アカウント、新規作成のアカウントなどは、意見の重みが軽く見られやすい) ・人的資産を維持することができる 自然と、自分のツイート傾向や趣味などを理解してくれているフォロワーが残ってくれやすい (新規アカウントを作ることを繰り返していると、人との長い繋がりは持てないため、困った時に味方になってくれる人もいない) ・ツイート資産が積み立てられる 自分のツイートが資産として蓄積され、「過去の自分はこう考えていた」「昔からずっと私はこのような主張をしている」「私はこのような努力を今までして来た」「このように変化してきた」という履歴がツイートという形で残る (アカウントを短い期間で変更・投棄するなどを繰り返していると、連続した履歴は残らない) *** 私も アカウントを一つに統合して、「自分自身」としてやっていけないだろうか 、と考えては、「今さら無理ではないか?」と何度も悩んでいた。 ファン創作活動をしている私の別アカウントのフォロワーさんは政治や思想のツイートがお嫌いであったり、政治的主張が明らかに合わなかったりする。 そのため、別アカウントの友達に政治の話などをしながら好いて貰い続けることは、おそらく難しい。 今のアカウントは自分が自分の考えを深めるために使用しており、イラストが好きな人を遠ざける要素が多く、イラストを沢山の人に見て貰うのであれば、それ用のアカウントを作った方が良いだろう。 また、私はイラストでお金を稼ぐことにも興味があり、それを目標にするならば、より一層、自分のアカウントで政治主張などをすることは厳しく思える。 (勿論、政

不買運動は「押しつけがましい」のだろうか? という話がしたい

最近も、大企業や政治家による問題がたくさん起きている。 先日は吉野家の取締役による問題発言や人種差別問題が立て続いて起こった。 元々吉野家には滅多に行かなかったが、嫌悪感から吉野家の利用はなるべく避けたいと思ってしまった。 私はそこまで強い気持ちを持ってそういう行動を選んでいるわけではないが、これは 「不買運動」 に当たるのかもしれない。 私は元々、不買運動という単語や運動がある事を知らず、 初めて知った時は、「え!?! そんなことを考えて実行している人がいるの!?!?」という、 「その発想はなかった」のような、純粋な驚きを感じていた。 その運動がある事を知ったのは、ずっと昔の知り合いがツイートしていた一言からだった。 「私はサントリーの商品は買わないようにしている」 これは別に今現在(贈収賄問題)のツイートではない。 その方は東北の方だったので、おそらくは昭和63年のサントリー社長(当時)による東北熊襲発言を嫌っての事だったのだろう、と思う。 *** 「不買運動」を自分の意思で決断して実行し、「私にはこのような信念があり、こういう行動選択をしている」と語れる人は、立派な人で、稀な感性の持ち主だ、と私は思う。 勿論、人それぞれに「何が大切な正義か」は違っており、人種差別への反対から不買をする人もいれば、反日企業への不買をする人というのもおり、不買運動をしているから必ずしも人権意識が優れていて立派だ、というわけではないのだけれど…。 でも、概ね、自分の不便さ・楽さよりもNOの意思表示を優先できる人というのは、真面目で責任感がある人だ、と思う。 一方で私は、「気持ち悪くて無理だな~」と思ったサービスはなるべく使わない、という方針ではいるが、面倒くささや自分の利益に反することは中々できない。 例えば、ツイッターがどんなに良くない場所だと思っていても、ツイッターに依存して生きている。 そして、不買運動をする人そのものに「押しつけがましさ」を感じる人、もいる。 押しつけがましさを感じた人間というのは、自分の心を守るために過剰に攻撃的になり、自分に押しつけがましさや申し訳なさを感じさせてくる、と感じる相手を攻撃する。 だが、本当に不買運動は「押しつけがましい」のだろうか? と、色々と考えてしまう事がある。 当人がやっていることは、 当人が自分の買う・使う商品やサービスを自分の責