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3月, 2022の投稿を表示しています

ネットリンチとは何なのか

私は二年ほど前までは、「オタク界隈は平和!!」と思っているごく普通の同人オタクでした。 普通というよりは、世間一般よりも自我が薄く、物を考えないタイプでした。 そのため、政治や差別問題にはとんと興味も知識もありませんでした。 そんな私が人権問題や政治に興味を持ち始めたのは、 ツイッターで 「ネットリンチ」 という概念を知ってからです。 「ネットリンチってなんだ!?!?!?!?!」 当時の私は本当にこう思いました。知らん横文字だ…と思いました。 かろうじて、オタクたちが 「学級会」 、一般的には 「炎上」 と呼ばれるような、誰かの問題のある行動をネットで吊るし上げて虐めるような行為のことをネットリンチと呼んで批判している人たちが居るのだと把握しました。 そういう人たちの主張を学びたい、理解したい、何が起こっているのかを知りたい、と思ったのが、私が人権問題に興味を持ち、物事を考えたり発表するようになったきっかけです。 二年前当時、重篤なレベルのネットリンチ被害に遭っておられる方がおり、日々その人への悪口が色々なアカウントから発信される、という状態が続いていました。 「同人マナー的に問題がある発言をしたら、当然批判されるし、私も当然批判する。それのどこがいけないのか?」 というのがおそらく、同人オタクに多い感性です。 しかし、個人個人がそうやって自分の思うままに誹謗中傷や批判をした結果、それがネットの力で個人では到底受け止められない・対応しきれない数になり、多大な心の傷をもたらしてしまいます。 それがネットリンチです。 ネットリンチによって木村花さんが自殺に追い込まれた事件は記憶に新しく、ネットリンチは容易に人を殺してしまうとわかります。 リンチとは、 私刑 という意味であり、法律による裁きではない、不当な裁きを指します。 法治国家である以上、相手に非があってもそれは法に照らし合わせて裁かれるべきであり、リンチは絶対にしてはいけないのです。 例え法的に問題がある事が起きても、それに対してネットリンチが加えられれば、裁判で言い渡される刑が減刑された、という事も、複数あるようです。 「家族も死刑」“ネットリンチ”が暴走事故の減刑理由に 被害者遺族「悲しく思っています」〈AERA〉  母子が亡くなった乗用車暴走事故で、受刑者はネット上で非難を浴びた。それは社会的制裁として考慮さ

承認欲求についての読書と、反抗期について

「認められたい」の正体 承認不安の時代 (講談社現代新書) | 山竹 伸二 |本 | 通販 | Amazon Amazonで山竹 伸二の「認められたい」の正体 承認不安の時代 (講談社現代新書)。アマゾンならポイント還元本が多数。山竹 伸二作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また「認められたい」の正体 承認不安の時代 (講談社現代新書)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 少し前ですが、『「認められたい」の正体』という本を読みました。 インターネット上、特にオタクのコミュニティでは「承認欲求」は頻出のワードだと思います。 しかし、「承認欲求丸出しでみっともない」だとか、「いや、承認欲求は誰にでもあるし、あって良い物なのだ」とか、ふんわりとした意見が飛び交うだけという印象です。 一方で、この本はその「承認欲求」について、 歴史的な発生要因や日本とキリスト教圏の環境の差、成長の過程なども踏まえながら、 真剣に考察された本になります。 また、目指すべき解決策も描かれています。 この本の中で書かれた解決策とは、 「一般的他者の視点」 を確立する事、です。 これは、自らの行為に向き合い続けることや多様な他者の立場について考えることによってようやく得られるものです。 その視点を持てた時、人間は「私は妥当で正しい行いをしている」と考えることができ、承認不安から解放されていく、という未来が示されています。 要するに、自分が自信を持てる価値観を持つ努力をしていくことが、承認欲求の呪縛から解放される手段、という事なのだと思います。 *** ところで。 私はここ数日、マイブームな言葉があり、それは 「反抗期」 です。 私が語る反抗期とは、別に「反抗期はダサい」とかいう小馬鹿にしたような話ではなく、 人間の自我形成にとってどうしても必要不可欠な時期 という真面目な話です。 人間は親という、自己主張をして大喧嘩(をしても甘えることが)出来る相手に対して自分の思っている事やイライラを実際にぶつけることで、最初は癒着している親と子の自他境界を引き、自分の考えを固めていきます。 「親にこう言われるけど、これって私の方が間違っているのかな…?」と自分の中に親への不満をため込んで悶々とするだけでは、反抗期を乗り越えたとは言えないでしょう。実際に言葉にして、怒りや自分の考えを主張する「経験」こ

アンソロの作り方について考える

タイトルの通りです。 同人誌の一形態、アンソロジー(複数人の執筆者が書いた、一つのテーマについての作品を集めた作品集)の作り方について、 独断と偏見で 考えた備忘録です。 ※実用目的ではなく、特に同人誌を出した経験が豊富なわけではない私の「このことについて妄想してメモを書いてみたら楽しそう」というお遊び的要素の高い記事なので、実際にアンソロを作られるつもりで参考情報の収集をされている方は、別の手段でしっかりと情報を収集されることをお勧めします。 ■事前準備 ・テーマ、仕様、企画、タイトルなどについて考える やりたいことを考える。楽しい。 ・テーマ ・タイトル ・表紙の構図 ・印刷サイズ ・使用したい印刷所 ・つけるならば、ノベルティ など、普通の同人誌でも考える事を考えていく。 アンソロを作るならノベルティを付けるという風潮があるが、 「アンソロ高い! 金もうけをしている! しかも人の作品で!」という過激な意見への回避手段(利益が出ないようにノベルティを付ける)という理由と、「せっかくの楽しいアンソロ企画だしノベルティも作りたいな♪」という主催者のウキウキが魔合体した風習なので、別になくてもいいと思っている。 自費出版で、印刷費が回収できる見込みなどそもそもなく、作業時間なども考えれば赤字もいいところなので、ノベルティがなくても利益など出ないと心得るべき。 ・公募制か招致制かを決め、招致制ならば誘いたい人をリストアップする まず描き手の人が居ないと始まらない。 公募制だと本人に知名度があったりジャンルに人が居ないと難しかったり、どの程度人が来るのか読みづらいと思うので、知り合いが沢山いるなら招致制の方が楽だと思う。 根性さえあれば人を誘えなくても一人アンソロという手段があるが、それは今回の主旨ではないしかなり稀な例だと思うので、除外。 同ジャンルなどの描いてくれる見込みのある人が多ければその人たちを誘えばいいが、自分の知り合いで同ジャンルではないが仲良しの(この人の作品が見たい)人が居るなら、頼んでゲストという形で誘っても良い。 多分ジャンルを超えた友達が多い人なら、テーマに被る創作活動をしている人が居なくても、人徳だけでもアンソロが出せなくはないと思う。 誘う=OKしてもらえる、ではない。 特に表紙などを頼める人は複数当てがあるとよろしい。 知り合いの人なら、正式

悪への憧れと、卑屈について

他人や周囲と自分を比較すると、自分だけでは気付かなかった特徴や差異に気付く事がある。 自分はフィクション作品の「悪」について、他の人あるいは世間一般での基準と比較して、 かなり肯定的な見方をしているのでは? と感じる事がある。 私には、「悪役という物はカッコいいのだ」という謎の確信がある。 だが。 ある時私は、 「悪、普通に怖い。(悪役って)何考えてこんなことしてんの?」 というのが所謂"普通の反応"であると、気付いてしまった。 もっとも過ぎる。あまりにも。 フィクションであればカッコいいとは思うが、私もマンションの隣人が悪人や犯罪者の類だったら、怖すぎて通報の上で引っ越す。 あるいは、悪役が好きでも、好きなキャラが「悪」と言われると 「いや善人だし、むしろ主人公の方が悪だし」 と価値観の転換を図ろうとする人も見受けられる。 好きなキャラが「悪」だと言われるのは、その人にとっては耐えがたいことなのである。私にとっては誉め言葉なのに。 ちなみに、フィクションに対しても 「悪、許せねぇな!!!」 と力強く思える人とは、私はむしろ一緒に良いお酒が飲めそうだなと思っている。 下戸なので実際は飲めないけど…。 何故私にとって「悪役」が憧れになるのかの理屈は、ある程度言語で説明できる。 私は非常に他人の顔色を伺う気質が強く、卑屈だ。 元々私は善悪の価値観を生育過程でつかみ損ねている。(善悪の基準が言語で伝達されず、親の気分で判断基準が変わる家庭環境だった) 弱者を攻撃するのは悪だとか、非難されても正しいことならば断固として主張すべき、などの感性が薄かった。 そのため、自分に自信が持てず、他人が非難している対象を敏感に察知して、 「どうやらこれがこの世の中でよくないこと=悪とされているらしい」 と気にして、それを避けて 「いい子っぽい」立ち位置に固執してしまう。 (実際には、世の中で批判を浴びることが必ずしも悪ではないし、賞賛されれば必ずしも善というわけでもない) 逆に、「悪」でありつつも胸を張って生きているキャラと言うのは、他人から攻撃されてもそれを気にしない。 他者評価を一切気にせず、自己評価のみを重視する世界に生きている。 それは私にとっては、堂々としてカッコよく思える。 もちろん、世の中にとっての「正義」を確信している人も、同じくカッコいい。 何かを確

映画「THE BATMAN-ザ・バットマン-」感想・備忘録

「THE BATMAN-ザ・バットマン-」を見てきました!!!! 春になった瞬間に行動力が湧き出て来たので無事見に行くことが出来ました。 たのしー!! 私はアメコミ系の知識が全くなく、実写作品や映画自体もあまり見ないので、 まるっきり知識ゼロでの視聴になりましたが、めちゃくちゃ楽しめました。 暗かったけど…めちゃくちゃ暗かったけど……。 物語として退屈がない展開かつ、オタクに良く効く暗さだったので満腹になりました。 よくも一作品にこんなに詰め込んだな~! と思うくらい色々な要素が詰め込まれていました…。 *** 以下に、感想を自分用の備忘録のために羅列します。 特にネタバレなどの配慮はしていませんのでご注意ください。 ・主人公が暗い!!  バットマン、「正義の味方」感があんまりなくて、ザ・不審者。  警察の現場検証にもコスプレ姿のまま立ち会っている。口下手。不審者。  背中で語る男に見せかけて、単純に自己表現が下手そう。  マスクを脱いでも不審者感が凄い。クマが凄い。この人ちゃんと寝てる? 寝てなさそう。  マスクを被っていると体格のいい偉丈夫感があるのだけど、外すと線の細い不健康な青年感が出るギャップ。  血色の悪さがリアルに陽に当たってないタイプの人で(自分がそれ)、夜型の私は親近感が湧いてしまう…。 ・主人公の戦い方が暗い!!  ヒーローっぽい派手な戦い方とかはなく、小道具がちょこちょこ出てくるくらいで、あとはボコボコ殴ってることが多い。チンピラか?  その割に、敵は普通に銃弾で向かってくるのに妙な自信があり臆さない…。(覚悟のキマった狂人である)  銃弾を弾くような恐ろしいスーツを着ているが、顎あたりは丸出しで本当に良いのだろうか。私だったらビビってしまう。  あとなんていうかそれはリンチ(私刑=法律の裁きではなく、個人がその権限なく人に罰を与えること)では?  でも最終的にヤバいやつを銃で殺そうとする人を制止する理性はあってよかった。 ・ライティングが暗い!!!  主人公が活躍するのが夜間なので、自然と画面が常に暗い。  代わりに印象的な光源(街明かり、ランプの明かりなど)が常に配置されていて、主人公のシルエットが際立つような、非常に印象的な画面作りになっている。  没入感がある。ホラーみもある。  個人的に、炎をバックに歩くバットマンの画が最強感すごくて

邪神を信仰している

めちゃくちゃに好きなキャラクターがいる。 恥ずかしいので作品やキャラクターの具体名は伏せるけれど、 所謂「王道」とか「子供向け」とか「勧善懲悪もの」とか、 場合によっては「古典的」と言われるような作風の作品のラスボスキャラクターで、邪神だ。 神だけれど、人間のことなどは何も考えておらず、 むしろ人間の弱さや醜さを忌み嫌っており、自分の力によって人間を滅亡させようとしている。 そういう自分も、人間の良くない所をこれでもかと煮詰めたような利己的で酷薄な性格だ。 そういう所が好きだ。 敵の「悪の組織」は、この神を信奉している人間たちによるカルトじみた宗教団体で、一度は滅んだ邪神を再びこの世に顕現させることで、世界を滅亡させようとしている。 勿論主人公たちは正義感からそれに立ち向かっていき、復活した邪神を打ち倒す、というお話の作品だ。 (今回語りたい事からは外れるけど、この主人公も非常に善人でかっこよくて、とても好きだ) 短絡的すぎるが、推しが「神」であるなら、軽率に「信者です!!! 信仰しています!!」と名乗ってしまいたい、という心理が私にはあった。 オタク文化には、自分の好きな物を「推す」事を宗教や信仰に例える風潮は、確実に存在している。 好きすぎる、信仰しよ…。 そういう風に考えていた。 だがいざ自分事として「信仰」してみようと思う段階になって、私は困惑した。 私はオタク心として、 作中での信仰がどのような形なのか 教義はどうなっているのか 信者たちは神の何を心の支えにして信仰を続けているのか などに強い興味があった。 が、作中では、宗教のそれらしい教義も、神によって心を救われる信者の描写も、この神を信仰することによって得られるご利益も、何も情報提示されていなかった。 なんで悪役たちはこの神を信仰しているんだ??? ツッコミ心が抑えられなくなった。 邪神だから、と言えばそれまでだし、割り切った描写はメッセージ性が強く私好みのものではあったが、作品への批判として言われがちな「描写が浅い、キャラが生きている感じがしない」という批判がされるのも当然に思えた。 自分でも一生懸命ある程度仮説を立ててみたが、しっくりは来なかった。 ①神の怒りを鎮めるため 悪神への信仰と聞いて想像しやすいのは、「神の怒りを鎮め、平和を願う」という形だ。 人間が自然災害を恐れて、それを擬人化して祀る

早寝がしたい

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先月、まとまった休みがあったのですが。 結局期待していたほどは有効活用できず、最終的には落ち込んだ気分になっていました。 →思考の反芻癖について、吐き出しと言語化(2022年2月21日) 休みの間は生活リズムが崩れてしまい、起きたらもう夕方、という事もありました。 しかし、 生活リズムを直したい とは思っていたため、やりたい事があってもしづらい。 開き直ることも出来ず、かと言って自分を肯定することも難しく、 上手く行動できない自分に対して非常に不安になっていました。 →自分の悩み事や不安感について考える(2022年3月4日) 「私はもっと行動すべきだ」 「だが、早寝するために行動を制限すべきだ」 という相反する考えに自分を挟み込んでしまい、結局上手く物事に取り込むことが出来なかったなあ、という反省があります。 ここ数日は、気持ちを切り替えて、改めて 「早寝に集中してみよう」 と考えています。 私の労働時間は非常に夜型 のため、意図して早寝を意識しないなら、今後もずるずると生活リズムが崩れた状態が続いてしまいそうだと思ったからです。 この気持ちが何日続くか、上手く行くのか、かなり不安はありますが…。 私は器用ではないので、順番に物事をこなしていくべきなのだと思います。 一旦習慣化が出来るようになれば、次の事に取り組む余裕も出てくるはずです。 また、 ゲームがやりたいが、夜更かしするのでやるべきではない ↓ 早起きして十分に時間さえ取れれば、ゲームをしても良い という風に、前向きに行動できるよう、思考を転換していくのもよさそうです。 *** 目標に対する自分のモチベーションの持ち方に悩みがあったので、 それに関係するような本で、疲れていてもなるべく気楽に読めそうな本を買ってみました。 神モチベーション 「やる気」しだいで人生は思い通り   著者:星渉 https://www.amazon.co.jp/dp/4815603871/ref=cm_sw_r_tw_dp_3NA2XGTGD51JTFSS7NBA モチベーションの設定の仕方などについて分かりやすく書かれています。 文章がシンプルで、レイアウトにも無駄がなく読みやすかったです。 「気合! 根性!」のような部分は一切なく、心理学的な実験や研究を元に語られているのも良かったです。 「『やってやるぞ~~~~!!』とやる

自分の悩み事や不安感について考える

去年末あたりから、月に一回ほどカウンセリングに通うことにした。 しかし、三月は予定が合わず、カウンセリングの予約が取れなくてしょぼくれている。 早めに四月の予約を入れた。今度は予定を空けておく。 自分の抱えているしんどさについての話がしたい時、カウンセリングを頼るのは良い手段だと思っている。 というか、私は悩み過ぎる性格のわりに、それ以外にあまり良い手段を持っていない。 カウンセリングルームの代わりに、オンラインでの通話カウンセリングなども利用しているが、中々にお金がかかる事には変わりなく、計画性なく気軽に利用するのは躊躇ってしまう。 というわけで今回は、セルフカウンセリング目的で、自分の抱えているしんどさについて文字化してみようと思う。 *** 自分で自分の内面について文章を書いてから思ったが、 結論として、 人の問題をケアするという事は全く簡単ではない 、と改めて思った。 人間めんどくさい。 人間の中でも私が特にめんどくさいのだが、人間はめんどくさい。 人間の抱える苦しみやしんどさを、誰かに無償でケアして貰おう、という行動は加害になるので、それがしんどければしんどいほど、人に期待を向けない方が良い、と思っている。 (私自身がそれを出来ているとは言えない所があるため、マジで気を付けねばならない) 私が書いている以下の自分の内面についての説明も、自分で自分を見つめなおす目的で書いたものなので、特に他人にケアを求める目的のものではない。 特にトラウマのような話は出てこないが、他人の問題を一々目にしても面白くないと思う。 また、今自分の事で手一杯の方や、人の問題をつい自分事として受け取ってしまうという方には、そもそも閲覧をお勧めしない。 でもブログなんて個人の日記みたいなものだから、これを読んでいる優しい人は、そんなことは説明しなくてもわかりきっている人だろうか…??? *** 私は、目標設定や行動の目的を定めるのがあまりにも下手で困っている。 「仕事のため、早く寝よう」という目標を立てた。 立てたが、「自分の精神衛生のために、好きな事をしたい」だとか「絵の練習をしたい」だとか、「漫画が描きたい」「本が読みたい」「ツイッターをしたい」だとか「ツイッターをしたい」それから「ツイッターをしたい」など、色々なやりたい事がある。 私自身は不眠症気味で、薬を飲まないと眠れない。