ネットリンチとは何なのか

私は二年ほど前までは、「オタク界隈は平和!!」と思っているごく普通の同人オタクでした。
普通というよりは、世間一般よりも自我が薄く、物を考えないタイプでした。
そのため、政治や差別問題にはとんと興味も知識もありませんでした。

そんな私が人権問題や政治に興味を持ち始めたのは、
ツイッターで「ネットリンチ」という概念を知ってからです。

「ネットリンチってなんだ!?!?!?!?!」

当時の私は本当にこう思いました。知らん横文字だ…と思いました。

かろうじて、オタクたちが「学級会」、一般的には「炎上」と呼ばれるような、誰かの問題のある行動をネットで吊るし上げて虐めるような行為のことをネットリンチと呼んで批判している人たちが居るのだと把握しました。

そういう人たちの主張を学びたい、理解したい、何が起こっているのかを知りたい、と思ったのが、私が人権問題に興味を持ち、物事を考えたり発表するようになったきっかけです。



二年前当時、重篤なレベルのネットリンチ被害に遭っておられる方がおり、日々その人への悪口が色々なアカウントから発信される、という状態が続いていました。

「同人マナー的に問題がある発言をしたら、当然批判されるし、私も当然批判する。それのどこがいけないのか?」というのがおそらく、同人オタクに多い感性です。
しかし、個人個人がそうやって自分の思うままに誹謗中傷や批判をした結果、それがネットの力で個人では到底受け止められない・対応しきれない数になり、多大な心の傷をもたらしてしまいます。
それがネットリンチです。
ネットリンチによって木村花さんが自殺に追い込まれた事件は記憶に新しく、ネットリンチは容易に人を殺してしまうとわかります。

リンチとは、私刑という意味であり、法律による裁きではない、不当な裁きを指します。
法治国家である以上、相手に非があってもそれは法に照らし合わせて裁かれるべきであり、リンチは絶対にしてはいけないのです。

例え法的に問題がある事が起きても、それに対してネットリンチが加えられれば、裁判で言い渡される刑が減刑された、という事も、複数あるようです。
つまり、ネットリンチは、「加害者には、裁判によって相応の社会的制裁が下って欲しい」という、被害者の感情とすらも相反する結果に繋がるのです。



この時点で、「オタクのマナー」は法律でも何でもないので、「オタクマナーに違反したから」というネットリンチ理由に、何も正当性はないことがわかります。

また、必要な批判だと言うならば、同じことを本人に向けて言っている人が他に居るのならば、あえて自分が重ねて伝える必要はないでしょう。
周りを見ながら、一人に批判や誹謗中傷が集中しすぎていないか確認し、「ムカつく!」という自分自身の感情による行動を抑えることが必要になってきます。
(感情を抱く分には自由です。しかし、ネットで発言をして全世界に意見を発表する事には、加害性や責任が伴います)
また、そもそも他人に加害をしないという意識が必要ですし、
時には被害者のことを考えて加害を諫める、というバランス感覚のある行動も必要になってきます。

正当性もないことで人間が加害されることは、重篤な人権侵害であるからです。

オタク社会では、「絵を描かないと人権がない!!」「あのキャラは人権キャラ」みたいな用法が流行っていますが、そういう軽い意味での「人権」ではなく、
人間は生きていていいし、その生命は守られるべきだし、その生命に対して他人が危害を加えるのは許されないのだ、という話です。





以下には、自分が「ネットリンチって何なんだ!?!?!?!?!」と思っていた人間として、何故人はネットリンチをしてしまうのか? という事について、原因を考えてみたいと思います。




・そもそもネットリンチという概念を知らない


オタク界隈では、「ネットリンチをやめろ!」と言われて「ネットリンチって何!?(悪い事なのはわかるが、理解できない)お前もネットリンチをしているのでは!?」という返しをしてしまう例が多いようでした。


・説明されても、ネットリンチや加害という概念を理解できない

ネットリンチと言うのは、「この規模の炎上からがネットリンチ」という画一的な定義がある言葉ではありません。
どちらかというと、複雑で、概念的で、抽象的なのです。
そのため「定義は?」「調べても人によって定義が違う」という事を理由に、理解を拒否する人が多いようでした。

拒否しているつもりではなく、実際に、文脈ではなく、単語の画一的な意味しか理解できない、というタイプの人も多いのだと思います。

また、そもそも、(たとえ反撃が無くても、相手に非があるように見えても)人間に加害をしてはいけないのだ、という感覚がない人間が多いことが、この概念の理解を難しくさせているようです。
(なぜ自分の発言が加害なのか? という事が、本気で理解できない、という人が居ます)

・自分の感情がコントロールできない


「ムカついた!」と思ったらそのままそれをツイートしてしまう、という衝動的なタイプがこれに当てはまると思います。
思ったことを発言する前に、その発言が適切かどうかを考えられれば、加害性の高い発言は減らして行けるはずなのですが、
その習慣がそもそもない、という人は気を付けてみた方が良いと思います。

加害的な発言、周りのみんなが囃し立ててくれるような発言には中毒性があり、一度その魅力に取りつかれてしまうと、加害への依存症になってしまう可能性があります。(大袈裟ではなく、実際にそのような状態になっている人は多数います)

また、過去、同人会での「学級会」という炎上は大抵、被害者が鍵をかけたりアカウントを消すことによって収束しています。
加害者が自己コントロールによって終わらせてきたわけではないのです。
被害者が「黙らない」「媚びない」場合、自己コントロールが出来ずに転がり落ちていくように加害中毒になっていくネットリンチ加害者が多いのは、このような理由からだと思います。(被害者の態度が悪いという話ではなく、被害者側が黙る事でしか加害を辞められない、加害者側の問題を指摘しています)
本来であれば、早い段階から自己コントロールして、加害を制御せねばならないのです。


・内心と、ツイッターでの発言の区別がつかない


人間の内心はどこまでも自由です。
しかし、ツイッターとはツイートした瞬間に全世界に自分の意見が公表される場で、自分の内心ではありません。
私が何を考えようと私の自由では!? と思うかもしれませんが、その言葉を全世界に公表しようと思って行動した時点で、発言者は発言の責任を問われます。


・自分が批判されることを想定していない


Aさんが被害者Bさんの問題を指摘して批判するツイートする時、第三者が「いや、Aさんのその発言には問題があり、被害者Bさんへの加害だからやめるべきだ」と批判されることも、当然あり得ます。
Bさんが批判される側という固定された役割しか想定していなかった人が、何故自分に批判を!? とびっくり仰天する、という場合が多いようです。
他者から批判が来るのが怖いと思う場合は、意見をツイートにしない方が良いかと思います。


・精神耐性が低すぎる、想像力が低い


人間は、自分の傷つきにばかり意識が集中している状態だと、他人の傷つきに理解が及ばないことが多いです。
精神耐性が低く傷つきやすいことは、まるで他人への共感性を育むように思えますが、実際には却って阻害することが多いです。自分の事でいっぱいいっぱいの人間は、他人の事を考える余裕がないからです。
自分は些細な事で「傷ついた!!」と主張しているのに、自分自身はネットリンチに参加して被害者を数の暴力で加害して、被害者への加害を見て喜んでいる、そのような一見して矛盾した状態は、このような原因から引き起こされていると思っています。
批判と誹謗中傷の区別がつかないのも、この「傷つきやすい」せいでしょう。

また、自分で自分の意見を語ることが出来ず、「企業が困る」「俳優さんが可哀想」「マナー違反」など、主語をついつい他者にしてしまう、というのも、精神耐性の低さ故なのだと思います。
精神耐性が低ければ、自分が何を望んでおり、何を考えてるのかも直視できなくなるのです。

・自他境界が薄い


他人と自己の境界が曖昧で、実際には被害者という一人の人間をいじめているのに、「ルールを乱す強大な相手に対抗して、みんなで反撃しなければ」のような意識でいる人が多いのでは、と思われます。
また、他者をグループで括り、他者個人個人を人間として見ず、「グループの一部」という認識でいることも多いように思えます。

そのため、物事や人の意見をそのまま受け止めることも出来ず、認知が歪み、
生身の人間を踏みつけにしている自覚が持てないのです。


・ローカルルールを重視しすぎていたり、一般的な感性を持っていない


オタクルールと言うのは公平・公正を期して作られたものでは決してなく、自然発生的に生まれ、古い時代から受け継がれてきたもので、一般的な感性とは全く一致しないルールも多数存在します。
そのルールに正当性があるか、一つ一つ考えてみたことはあるのでしょうか。
マナーやルールに縛られすぎて、法律よりもオタクルールやマナーが重たいかのように感じてしまうオタクというのが、冗談抜きで存在しています。
世間的に犯罪とされることでも、ネットリンチすれば問題になるのですから、ローカルルールに違反したという勝手な理由でのネットリンチが許されるはずはないです。


・卑屈


自分を低く見て、他人に服従しようとする、意気地のないさまを指します。

女性オタク界隈は、過去に男性オタクから加害されてきた結果として、自分たちを卑下して、その代わりにオタクの特定の属性や「マナー違反」とされる弱い人間に加害を繰り返す、という構造をしています。
強い人の振る舞いに反発せず、更に弱い人に同じことを繰り返し、そしてそういう振る舞いを見逃して温存する構造が、オタク界隈にはあります。
非常に問題がある、と思います。

日常生活での鬱憤を、ネットリンチで晴らしている人たちも、弱い他人を安全圏から攻撃することで満足感を得てしまっていますが、
本来戦うべきなのは、自分より弱い既に批判の集まっている他人ではなく、日常生活で自分に鬱憤を与えてくる強い人間に対してなのです。
自尊心を持つべきなのです。

そもそも「自分たちは/その人たちは加害されて当然なのだ」という認識が強く間違っています。
本来、人間は他人からの加害に徹底的に抗議しなければいけません。
自分の、そして他人の尊厳を守るためです。
そして、他人を加害してはいけません。
他人から加害されて当然の人間など、これを読んでいる人を含めて、どこにもいないのです。


***


長文で色々喋っているのでまるでオタクへの憎しみに溢れているように感じている人もいるかもしれませんが、ここに挙げたことは殆ど、「私(重度オタク)もそういうところある…!!」という反省から書かれています。
特に自分の卑屈な性質は未だに直っていません。

それでも、偶然何かが目に入ったとか、偶然興味を持ったとかの理由から出発しても、
案外自分の努力で自分が変わっていけることは多いと、自分で体験してみて思います。

私も誰かの考えを変えたいとか、役に立ちたいと思っていましたが、それはおこがましいのだろうな、と最近は思うようになってきました。
あまりにも簡単な事実過ぎて見逃していましたが、私はおそらく、誰かに変えられたのではなく、自分で努力して変わったはずです。
そして他の人が変わる時も、そうなのだと思います。

「人の役に立ちたい」という目的を抜きにしても、
自分で物を知り、考え、そして考えたことを書くのは、本当に楽しいです。

そういう気持ちでブログを書いています。

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