今年、人の影響で考えが変化したこと

もう年末ですね!! 時が経つのがめちゃくちゃ早い!!!
年末年始はぬくぬくして過ごしたいと思っています。
と言いつつ、暖房付けても部屋が寒くて悲しい!!!

今日は、今年あった「考え方が変わるきっかけ」について、簡単に書き記しておきたい、と思います。

***

今年に入ってから、複数の相互のフォロワーさんなどの親しい人から、「薪さんの考えは自分と一致しない所もあるけれど、勉強になる」とか、「考え方の過程が参考になる」などの肯定的な意見を頂くことが多くなりました。

ただ、非常に失礼な話なのですが(ごめんなさい!)、最初これを私は「ショック」と受け止めました。
自分は私なりにかなり努力して物事を考えるように変化した(2020年頃までは、自分で物を考えたり発表するタイプではありませんでした)のに、
その努力や結論に価値や意味を感じないからこそ、そういう棘のある言いまわしであえて遠回しに苦言を呈してくれているのか……? とまで、悪い方向に考えかけてしまいました。

しかし、冷静に考えれば、勿論そんなはずはなく、この人の意見に価値が無いと思っている人にわざわざ真逆の意見を伝えたり、フォローを続けたりする必要はないでしょう。
ご意見を伝えてくださった方々には、改めて感謝の気持ちをお伝えいたします。
(また、自分の努力が人に伝わらないという事は当たり前のことなので、特に落ち込む必要はないでしょう。変化も定着すれば「変化がない」状態に見えますし、人は当然エスパーではないので)


元々、自分は人のことを軽率に「すごい!!」「尊敬する!!!」と思うタイプです。
良くも悪くも真に受けやすく、全肯定に偏る性質です。
自分がそうであるから、人にもそのような観点から出発した「棘のない反応」を必要以上に期待してしまう所があるのだと今は思います。


「フォロワーさんたちは肯定的な気持ちから、自分にその意見を伝えてくれたのだ」という風に意見を捉え直した結果、

肯定や共感、「あなたは/その意見は正しい」という寄り添いや励ましに価値がある

という元々の考えから、
理論ではなく経験として、

意見の多様性、自分の中から出てこない意見や感性、考え方を知る事には価値がある

というように、今年の後半になってからゆっくりと少しずつ考えが変わってきたように思います。

もちろん、0か100かという対立した概念ではなく、両方が必要であると思いますが、自分は元々過剰に前者の肯定や共感に偏るタイプの人間でありました。
それは他人に支えられなければ立っていられないという自信のなさと表裏一体であり。
そして、度を超したそれは「同化」になってしまいます。

後者の価値観も大切にしていくこと。行動し、自分に自信をつけていき、精神的体力をつけること。
そして、自他の境界をしっかりとつけていくこと。
これらが来年も引き続き自分の課題であろう、と考えています。

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